ようやく2年生も学年末試験を無事に終えることができ、今日から平時の教育活動に戻った本校。

天気はあいにくの曇天模様と、冬へ逆戻りしたかのような肌寒い朝となりました。

今日は生徒には事前に詳細を伝えず、全校放送で「ある方々」から講演をいただきました。

スタジオに用意されたのは、大型のTVと長机に椅子。そこに座る2人の姿。

私が行った時には、向かい側に大勢の大人がいたので、さながら記者会見でもはじまるかのような雰囲気でした。

 

まず校長先生から、2人について紹介。

実は、2人は今年の1月に起こった能登半島地震で、家が被災してしまった兄弟(写真左。右はお父さま)です。

母方の祖母宅が横浜にあり、年末から横浜に帰省していたため、運良く直接的な震災は免れました。

彼らが通っていた学校は現在避難所として機能しており、落ち着いた環境での学習が難しい状況にあります。

そこで、今年度から本校で開室した「東中ルーム」に通い、自学自習を中心に約1か月半ほど過ごしておりました。

今回、ある程度生活のめどがたったことから、2人は今週末に能登に帰ることになりました。

そこで、東中の生徒に、地元のPRと被災のリアルを知ってもらうべく、プレゼンテーションをしてくれた、というわけです。

弟さんからは、地元の石川県珠洲市宝立地区についての紹介。景勝地や文化の紹介がありました。

 

その後、お兄さんから現在の宝立地区のようすを紹介。先日、一時的に帰郷して、自分の目で確かめ、現状を写真に収めてきてくれました。

自然が生み出した景観や、山車の一種で江戸時代から能登地方で続く伝統文化「キリコ」も被害にあったようです。

 

現在の学校のようすも紹介されました。避難所として活用されているため、学習スペースにも限りがあります。

また、グラウンドは仮設住宅建設のために工事車両が入り、テニスコートだった場所も使えなくなっている等の話がありました。

お話を聞いて驚いたのは、人口流出の問題。高齢者の方は避難所へ、若い世代は移住。

結果として、復興が進まない現状があるそうです。誰を責めることもできない、難しい問題だと思いました。

 

横浜に帰省している間に、自分が住んでいた町が震災で被害に遭う。

この2か月弱の間、彼ら兄弟がどのような思いで過ごしていたのか、筆舌に尽くしがたい苦しみだと思います。

そして、東中の生徒のために、被災した故郷の状況を説明してくれた彼らには、感謝してもしきれません。

 

東中が提供できたものは決して多くありませんが、彼ら兄弟にとって、少しでも、復興の道を進む力の足しになっていることを願うばかりです。

貴重なお話をしていただき、本当にありがとうございました。復興のために、私たちにできることを考え続けたいと思います。