今週5月29日は横浜大空襲があった日です。

 そこで、今週は横浜大空襲のあった昭和20年(1945年)頃の東小(当時は東尋常高等小学校)の様子を紹介していきたいと思います。

 

 昭和のはじめ、学校は男子組と女子組に分かれていて、担任もクラスも6年間ほとんど変わらない仕組みだったと100周年記念誌にありました。

 ところが、過去のアルバムを見てみると、確かに男子・女子に分かれているものが多いですが、男女組もありました。

 横浜市の体育大会は、横浜スタジアムのあたりで5・6年生が参加していたそうです。

 また、楽団や歌手が、学校に音楽を聴かせに来てくれることもあったそうです。

 

 昭和10年には、今は池の横にある二宮金次郎の像ができました。

 この頃には、団体行動の訓練や心身を鍛えることを目的として、大山への登山が始まりました。

 通知表(あゆみ)は、10段階で評価されていたそうです。

 

 写真は、昭和4年(1929年)の卒業記念の集合写真(男女組)です。

 男子は学生服と着物が半々くらいですね。女子は着物の子が多いようです。

 少し緊張気味の子が多いので、写真撮影はそんなに多くの機会がなかったのかなと思いました。