11日には、東小学校の歴史を簡単に紹介しました。

すると、「どうして東小学校というのですか?」という質問がありましたので、再び『創立100周年記念誌あずま』で調べてみました。

 

 明治時代まで東小学校の地域は、「久良岐郡太田村」と呼ばれていました。それが明治34年に「南太田町」となりました。

 そして、この頃、今の東ヶ丘周辺が「東耕地」と呼ばれるようになりました。学校の場所には火の神をまつったと言われる「秋葉社」というものがあったそうです。フェスティバルの「火の神様」の登場につながっていますね。 

 その「東耕地」が昭和10年の町名整理の時に「東ヶ丘」と変わりました。この後、東小学校がこの地に移った際に「東」の名前が取られたようです。

 

 先生はどうして東(ひがし)がつくのかな? とぼんやり考えていましたが疑問が解けてすっきりしました。地名について調べてみるといろいろなことがわかります。

 昨日の記事では地図帳を紹介しましたが、地図帳にも昔の国名があります。

 

 神奈川県は相模(さがみ)、東京都は武蔵(むさし)などです、むさしはスカイツリーの634Mにも由来しています。都道府県名を全部覚えた子は、昔の地名なども挑戦してください。