平成25年 11月 第8回保中同窓会・文化講演会 開催報告

保土ケ谷中学校同窓会の第8回文化講演会を下記の通り開催致しました。

日 時 2013年10月5日(土)14時~16時

場 所 保土ケ谷中学校 図書室

講 師 福 譲氏 (3期)

テーマ 新制中学校発足から同窓会結成・その後の活動
    A:草創期の保土中 (翠嵐高校、西谷校舎での授業等)
    B:同窓会の結成  (同窓会結成の動機等)
    C:結成後の活動  (活動の目標、具体的活動等)

当日出席人数  80名         (懇親会参加人数 62名 「かごの屋」星川店)

下記の写真は当日の様子です。

1.講師の福譲氏           2.恩師・大内先生
講演会1  講演会2


3.講演を真剣に聞いている保土ヶ谷中学校卒業生のみなさま
講演会3講演会4


なお、講演内容につきましては、音声の記録をCDにてお貸しすることができます。
ご希望の方は、rsk07959@nifty.com or ob5813@hotmail.com まで連絡をお願いします。

* 初めてお聞きする内容は、とても新鮮で時代の流れを感じました。当日は雨の中、大勢の方にご出席いただき、大変盛り上がった素晴らしい講演会が出来ました事は、保土ケ谷中学校同窓会の皆さまのご協力に感謝致します。 (保土ケ谷中学校同窓会 文化委員一同)

 


以下は

福 譲 氏の講演の後、歴代同窓会長、細野豊氏、中村輝久氏、庄司洋一氏そして10期生の岩田利夫氏から寄せられた感想です。


福さんの講演を聞かれていない方も、当時のことを振り返りながらの先輩方の思いが伝わってきます。 また、これらを読まれた方々のご感想をお待ちしています。


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 『青春の1ページ』


 福さんが言われたとおり、上原章尚さんと吉田一郎さんがいなかったら、今日の保中同窓会は、なかったでしょうし、あったとしてもまったく違ったものになっていたでしょう。


同窓会活動のほかに、上原さんの家を根城にして、「青」(1954創刊=この年に母病死)や「カトル」(1956)という詩の同人詩を出していました。


「カトル」の同人は、上原、吉田と嶋村弘志、細野 豊でした。同じころに、福さんたちも参加して、詩のほかに映画評論なども載せた「ウルフ」という雑誌も出していました。貧しく思い出深い青春でした。 (4期生 細野 豊 氏)

 

 

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『これは凄い。福さんだけが語れる保土中草創期の歴史です』


今、私の手元に『若い夢』という3冊の小冊子があります。読者のみなさんはご存じのことと思いますが、これらは終戦後開校した新制保土中の文字通り「若い夢」を綴った創立40周年、50周年、そして60周年の記念誌です。因みに、「新制中学校」の発足は1947年(昭和22年)4月1日(保土中の開校日は同年5月5日)でありますから、これらの記念誌は1987年(昭和62年)、1997年(平成9年)並びに2007年(平成19年)にそれぞれ発刊されています。当時の同窓会会長も同記念誌に同窓会の草創期について短文を寄せています。


 


一方、同窓会は母校創立50周年を記念して『草創Ⅰ』(A4版、235頁)を1998年(平成10年)に、さらに同窓会創立50周年を記念して『草創Ⅱ』(315頁)を2006年(平成18年)に発刊しています。『草創Ⅰ』は、主として、開校時の先生と3期生から9期生までの思い出と当時の写真を中心とし、『草創Ⅱ』は3期生から14期生までの思い出と当時の保土中学区の郷土史との二部構成で編纂されています。これらの記念誌編集の中心となった方が、今回の講師の福譲さん(3期卒)です。そして、福さんとともに母校開校時から最初の3年間をともに過ごした3期同期生が中心となって同窓会を発足させたのです。1954年(昭和29年)のことです。ですから、福さんの話は貴重な話です。凄いことです。おそらく福さんだけが語れる保土中草創期のはなしです。この講演録は貴重な歴史資料として永久保存されることを願います。前文が長くなりましたが、これだけでも私の感想であります。


 


ひとは、太平洋戦争のことを「先の戦争」と言います。その戦争末期、米軍の幾度にもわたる大空襲を受けて日本の都市は焼け野原となりました。横浜もその一つです。そして、その中にあって誰もがまともな住む家を失い、食料もろくにない敗戦直後の極度の困窮の生活でした。今となっては考えられない惨めな状況でした。福譲さんは、そのようなときに開校した新制保土ヶ谷中学校の旧制二中の校舎と西谷のぼろ校舎に通った400余名の3期生の一人でした。毎朝、新聞配達をしてから登校したそうです。ですから、福さんは当時の世相や学校の様子、先生と生徒のつながり、とにかく明るい学校にしようと努力された中島校長と若い先生方たちの様子をよくお覚えています。このご自身の体験をもとに、具体的な例を挙げて約1時間の話をされました。


 


福さんは、保土中を卒業して4年後の1954年(昭和29年)9月に、3期卒同期生が中心となって、同窓会を立ち上げたそうです。驚きです。米軍の占領は解けていたとはいえ世の中は未だ騒然としていました。(1951年8月、サンフランシスコ対日平和条約調印。)この同窓会は、1959年(昭和34年)ころまで毎月レコード・コンサートを開催し、母校の記念祭に参加し、また淀川長治さんや坂西志保さんなど著名人を招いて毎年講演会を開催していたそうです。その後、活動はしばし休眠していましたが1987年(昭和62年)の母校創立40周年記念を期に再び3期生が中心となって再開しました。3期生の上原章尚さんが会長となり保土中同窓会は復活しました。しかし、その後、上原さんが急死されましたので福さんが会長職を継がれて、二期4年間会長を務められました。その間に、前述の『草創』が発刊され、以降、4期生、6期生、10期生からそれぞれ会長が選出されてきて、現在は、二人目の10期生が会長に選出されています。各種同窓会活動は継続しております。


 


このように戦後の保土中開校時の昭和20年代からの母校のあゆみと、そして他の新制中学校には見られない保土中同窓会の歴史を振り返るとき、3期卒の福譲さんの存在と彼の貢献度がいかに大きいものか計り知れません。全くの驚きです。凄いことです。たいへん貴重な講演でした。これが私の率直な感想であります。 (6期生 中村 輝久氏)


 


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 『きずな(絆)…結びつきは続く…』


保中同窓会は3期生、4期生が中心となり、昭和28年から設立準備を開始、同29年9月に第1回総会を開催、、、、。 講演会ではこの辺の事情が、当時の経済状態、世相などを交えながら、まとめられていましたが、拝聴しながら強く印象に残った事柄が2つありました。


 


一つ目は、昭和28年(1953年)という時期です。


4期生は高校3年生、3期生は高校卒業の翌年で、就職した人は社会人の1年生、進学組は大学1年生(乃至は浪人生)と言う時期です。この時期に、同期会を結成しようとか、同窓会を結成しようとか考え、実行された訳で、驚きです。現在とは全く異なる社会・経済状況、生活環境ではありましたが、それにしても凄いことです。


 


二つ目は、同窓会の入会金のこと。


同窓会結成以降、学校の協力を得て、卒業生に200円の同窓会入会金を納めてもらうことになり、それが約60年、途切れることもなく続けられていることです。入会金を納める卒業生、その入会金を集めてくれる先生、そして、それを学校から受け取る同窓会、この「結びつき」が綿々と続いていることです。「きずな」ですかね。


保土ケ谷中学校と保中同窓会の一層の発展を祈念。  (6期生 庄司洋一氏)


 


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 『お礼の言葉とともに』


 この文化講演会は、各講師そして文化委員の数々のお骨折りがあってこそ、8回を迎えられ、保中を卒業したことで幾多の先輩方のお話を母校を会場として聞けたことは、まさに「絆」というか「一期一会」かと思います。文化委員各位への感謝の意を表します。


さて福講師におかれましては「50周年記念誌・草創Ⅱ」の編集の際にもきわだった指導力と資料の収集そして面倒見の良い対応には感心し、同氏なくして、記念誌の発刊は不可能であったのではと思うのは衆目の一致するところではないでしょうか。


 今回、講師が一時体調をくずされ、当日無事講演が可能なのかと一抹の杞憂があったと聞きましたが、そんな心配も吹き飛ぶほどの元気さで、多数の参加者にタイムマシンのように過去の歴史の経過を鮮明に甦らせて頂きました。


 初めてお聞きする内容は、新鮮で時代の流れを多いに感じました。温故知新のことわざのように、私たちの現在「今」があるのは先人達の努力の賜であったことを改めて認識する講演内容でした。


 演題にある「新制中学校発足から同窓会結成・その後の活動」については、過去の正確な事例(講師はやや遠慮していましたが)は、当日特別臨席の恩師「大内 実先生」によって、記載内容は間違いなしとのお墨付きもいただき、福講師の面目躍如ではなかったのではないでしょうか。


 保中同窓会については、過去の歴史の中で、関係する方々がそれぞれの繁忙期があり、一時中断せざるをえなかったこともあったようですが、それらの苦難を乗り越えて現在までリードしてきた接点に着いては時間の不足からか詳細説明はなかったようでした。


 この講演の演題から、内容は固い定型的なお話が想定されましたが、本人の誠実な人柄から、実に膨大な講演資料(この原稿作成には大変なご努力を頂いたのではないかと敬服しますが)と同氏の時にはユーモアを交えた当時の体験談等により、聞く人を話の中に引き込んで有意義な講演会であったと思います。


 是非講師におかれましては、日頃の健康と体調に留意され、また機会があれば今度は人生訓でもお話頂ければ幸いかと存じます。


 最後に福講師並びに文化委員諸氏のご努力に敬意を表し、謝辞とさせて頂きます。


本当にありがとうございました。   (10期生 岩田利夫氏)