沿革
学校のあゆみ
昭和 4年 4月 1日 |
今の蒔田中学校がある場所に、蒔田尋常小学校として設立。 児童数は1355名。 教室不足のため、午前の部、午後の部と分かれ、二部授業を行っていた。 |
4年 5月27日 | 三階鉄筋コンクリートの校舎が完成。費用は26万8591円かかった。 |
4年 5月30日 | 港を象徴した錨をデザインした校章ができる。 |
20年 | 5月26日の横浜大空襲のため、木造校舎が全焼し、鉄筋校舎も半焼する。 |
22年 |
地域の方の協力で今の蒔田小学校がある土地を買う。 使用していた校舎は、そのまま蒔田中学校になった。蒔田小学校18年間 の歴史を一時閉じる。 |
25年 |
いくつかの工事を経て、今の学校のある場所に 日枝小学校から分かれ、 蒔田小学校ができる。児童数1235名。 山上のため水道が引けず、さらに井戸水でも 足らなかったので、5・6年生が坂の下まで 水をくみにいった。 この年に現在の校章ができる。 富士と磯子の海のおどる波をデザインした。
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31年 |
児童数が最大の1524名になる。 地元住民の方の百万円をこえる募金により、図書館の建設が行われる。 |
34年 |
円形校舎が完成し、二部授業が解消された。 |
36年 |
開校10周年の記念式典を行った。この年に今の蒔田小学校の校歌が 完成した。 |
38年 | 蒔田坂の舗装が完了した。 |
40年 |
運動場が完成する。 |
41年 |
学校で教育上不便ところを挙げ、その改善のために地元の人が請願書 の形で、横浜市に提出した。 |
44年 |
請願書が受けいられ、新館校舎・体育館・プール・給食調理室が 完成する。 |
45年 |
花壇・鳥小屋が完成する。また、先生たちがシャベルなどを使って、 協力し夢の池を作った。この年から完全給食開始。 |
48年 | 環境美化優良校に選ばれた。 |
49年 | 全国花いっぱいコンクールで優秀賞を受賞する。 |
50年 | プール横にあった山をけずって、畑・学年園が完成した。 |
51年 |
開校25周年記念式典を行った。 |
58年 | 円形校舎の工事が行われた。 |
平成 3年 | 開校40周年記念式典を行った。「みまもるふるさと」を発行する。 |
4年 | 焼き釜庫が完成した。 |
6年 | マーチングバンド設立。 宿泊体験学習が開始される。 |
7年 | 赤城林間学校開始。 みずきフェスティバルが始まる。 |
9年 |
国際理解教室が始まる。 郷土資料館が完成する。資料館には、地域の方が寄付してくださった 物も展示されている。 |
10年 |
子どもたちが登校しやすいように、 堀の内階段の工事が行われた。 |
13年 |
開校50周年記念式典が行われた。 記念に地域の方も多数参加した、蒔田夏祭りが実施される。 ホームページが開設。 |
14年 | 全校遠足が根岸森林公園から久良岐公園になった。 |
15年 |
南区区制60周年の記念イベント「南区元気フェスタ」に マーチングバンドが参加する。 |
16年 | 地域の方の協力を得て、英語活動が始まる。 |
17年 | 体育館耐震工事を行う。 |
18年 | 英語活動発表会を行う。 |
19年 |
1年生から6年生までのたてわり活動開始。 |
20年 | 一校一国運動運動(アフリカ会議) |
21年 | 各教室耐震工事を行う。 |
22年 | 外壁工事 体育館屋根補修。 |
23年 |
60周年記念式典実施。 「蒔田っ子」制定。 |
24年 | プール改修工事。 |
25年 | 「わくわくミュージックフェスティバル」全校一斉実施。 |
26年 | 神奈川県体育科研究協力校指定(1年次)。 |
27年 | 神奈川県体育科研究協力校指定(2年次)。 |
28年 |
神奈川県体育科研究協力校指定(3年次)。 「まいたの体育」研究発表会開催。 |
29年 |
神奈川県小学校体育研究会より研究優良校として表彰される。 神奈川県体育科研究協力校指定(4年次)。 全国学校体育研究連合会より研究優良校として表彰される。 「まいたの体育」研究発表会開催。 |
30年 | 神奈川県体育科研究協力校指定(5年次)。 |
31年 | 特別教室他全教室にインターホン設置。 |
令和2年 | 感染拡大防止による臨時休校(4/8~5/31)。 |
3年 |
方面別分散登校。 70周年記念児童集会を行う。 |