かめの子すべり台の誕生

 かめの子すべり台は昭和7年に完成しました。このことについて「横浜市立浦島小学校創立100周年記念誌」(2019年創立100周年記念事業実行委員会記念誌編集部発行)に以下のように紹介されています。


 この、浦島伝説への取り組みとしてのこされたものに、亀の子すべり台の建設がある。昭和6年(1931)の夏休み、高等科の児童が学芸会の時に保護者に配るため、浦島太郎の陶人形を作っていた。電気炉を使って1,200で焼成した後に彩色するという本格的なものだったが、この作業の中ですべり台を作る計画が浮かんだ。2学期の始業の後、授業の合間をぬって裏山からモッコやバケツで少しずつ土台を作る土が運ばれていった。その作業はまるまる1年にもおよび、秋には大雨で土が流されたり、冬は冷たい風の吹くなかを、夏の暑さのなかで汗まみれになって作業をしたことが伝えられている。土台の山ができたところで、コンクリートで固めたが、その資材や手すりにする鉄材も児童・生徒が小遣いを出し合って工面した。翌711月、コンクリートが十分に乾き、浦島伝説ゆかりの小学校のシンボルとして亀の子をかたどった高さ4メートル、全長14メートル半という巨大なすべり台が完成し、127日に落成式がおこなわれた。当時の呼称は「亀型辷台」だった。平戸校長は「どんな小さな者でも、何十人何百人で力を合わせ心を合わせてたゆまず働けば、すばらしい仕事をなし遂げられるものだ」とこれを賞した。このすべり台建設の逸話は勤勉の美談として雑誌『少年クラブ』( 昭和8 年・19336月号)に紹介され、全国にあまねく知られることになる。