【令和6年度】

 

これまでの50年 これからの50年

 

 本校はこの令和6年度、創立50周年を迎えます。昭和49年1月1日に横浜市立学校で最初の肢体不自由養護学校として設置されましたが、学校に保管されている「学校沿革史」はその1年半ほど前の昭和47年8月14日から始まっています。

 「大阪市教委、大阪聖母整肢園、大阪市立光陽養護学校、京都府立日向丘養護学校に出張」との記述から始まる沿革史は、開校までに全国の養護学校等の視察や医療機関での医師との相談、校舎設計に関する打ち合わせ、入学希望者の自宅への家庭訪問、入学者の選考に関わる会議などが日々重ねられていたことを物語っています。まだ就学猶予や就学免除を申し出なくてはならないことも多かった時代に「すべての子どもに学校教育を」と願う方々や、本校での充実した教育に期待し開校に向けて尽力された方々の思いが、直筆の美しく整った文字の間から伝わってくるように感じます。

 開校からの50年間、本校は児童生徒数の増加に様々な形で対応しながら、児童生徒一人ひとりを大切にし、教育の充実に向けて歩んできました。30周年記念誌には、当時の校長先生からの次のような言葉があります。「10年後、20年後は上菅田養護学校もこれまでとは異なった形で発展を遂げているのかもしれません。そのことを思うとますます夢膨らむ思いがします。これからも上菅田養護学校が時代の要請に応え、児童生徒や保護者の期待に添えるよう、組織や教育内容の充実に向けて努力を重ねてまいります。」

この「これまでと異なった形での発展」の姿を描く時が、今まさに訪れています。開校以来の児童生徒数の減少期を迎え、校舎内の空間を潤沢に活用することが可能になりましたが、一方では教職員数も同じように減少することによって学校規模に見合った組織の見直しが必要となってくると考えられます。この他にも、教育を取り巻く様々な変化の潮流は本校にも押し寄せてきています。

本校はこれまでの50年間、最初に開校した肢体不自由校として横浜市の肢体不自由教育を牽引してきました。100周年に向けてのこれからの50年はどのような姿を目指していくのか、児童生徒の皆さん、保護者の皆さん、地域や関係の皆さん、教職員等と対話を重ね、「これまでと異なった形での発展」の具体的な姿を描きながら、その姿が多くの人の「夢膨らむ」ものとなるように、学校経営に努めて取り組んでいきたいと考えます。どうぞよろしくお願いいたします。

 

校長 瀧田美紀子