沿革
学校のあゆみ
本校は、昭和54年4月の「養護学校義務化の完全実施」に伴い、本市の養護学校の現状を踏まえ、主に知的障害者を対象にして、本郷養護学校として開校した。市立養護学校としては、4校目になり、戸塚区(当時)鍛冶ヶ谷町に校舎を建設した。開校当時は、市立日野養護学校校地内に仮校舎を建設し、教育をスタートしたが、昭和54~55年度計画で新校舎の建設が進み、昭和56年9月より新校舎に移転し、教育を開始した。当時は東洋一の施設設備を誇っていた。
また、昭和54年10月には、中和田南方面分教室を市立中和田南小学校内に設置した。その後、昭和61年4月には、中和田南方面分教室が肢体不自由を対象とした市立東俣野養護学校として独立した。平成19年4月には学校教育法の一部改正、市の条例改正を受けて、校名を横浜市立本郷特別支援学校と改称し、校章・校歌も一部変更している。
昭和54年4月1日 |
初代校長 青池 尚ほか教職員14名着任(4月2日開校準備業務開始)学則制定 |
昭和54年4月4日 |
スクールバス路線、試行運転・決定 |
昭和54年4月6日 |
仮設校舎(プレハブ)1棟2階建完成 |
昭和54年4月7日 |
仮設校舎に移転 |
昭和54年4月10日 |
開校式・入学式・始業式 |
昭和54年4月11日 |
授業開始、スクールバス運行 |
昭和54年10月17日 |
中和田南方面分教室開設式 |
昭和55年3月21日 |
小学部・中学部第1回卒業式 |
昭和55年4月1日 |
高等部、仮設校舎増設(第1次) |
昭和56年4月1日 |
仮設校舎増設(第2次) |
昭和56年9月9日 |
新校舎完成 |
昭和57年3月10日 |
高等部第1回卒業式 |
昭和57年10月18日 |
初代校長 青池 尚死去 |
昭和57年12月22日 |
校歌・校章制定 |
昭和58年1月1日 |
第2代校長 高田 幹夫着任 |
昭和58年3月8日 |
校旗作成 |
昭和58年11月18日 |
第22回全国学校体育研究大会・第18分科会会場 |
昭和60年4月1日 |
第3代校長 松前 之広着任 |
昭和61年4月1日 |
中和田南方面分教室が横浜市立東俣野養護学校として独立 |
昭和62年4月1日 |
第4代校長 松村 徳繁着任 |
平成元年5月31日 |
創立10周年記念式典開催 |
平成元年7月4日 |
横浜市心身障害児研究指定研究発表会開催 |
平成2年4月1日 |
第5代校長 栂野 良治着任 |
平成6年4月1日 |
第6代校長 藤崎 剛着任 |
平成7年10月16日 |
地番変更 |
平成8年4月1日 |
第7代校長 奥住 紀之着任 |
平成10年2月13日 |
横浜市障害児教育実践研究推進校公開研究発表会開催 |
平成10年3月31日 |
職員室統合工事完了 |
平成10年4月1日 |
第8代校長 浅場 清着任 |
平成10年5月1日 |
創立20周年記念式典開催 |
平成12年4月1日 |
第9代校長 香川 正典着任 |
平成15年4月1日 |
第10代校長 長根 直幸着任 |
平成15年12月25日 |
はまっ子ふれあいスクール開校 |
平成16年1月22日 |
横浜市学校保健優秀学校表彰 |
平成17年4月1日 |
第11代校長 村上 勝美着任 |
平成19年4月1日 |
校名を「横浜市立本郷特別支援学校」に変更 |
平成20年4月1日 |
第12代校長 松崎 紀一着任 |
平成20年10月10日 |
創立30周年記念式典開催 |
平成22年4月1日 |
第13代校長 内田 裕彦着任 |
平成25年4月1日 |
第14代校長 村上 英一着任 |
平成25年10月29日 |
横浜市自閉症教育研究実践校公開授業開催 |
平成26年3月13日 |
横浜市優秀教育実践校表彰 |
平成27年4月1日 |
第15代校長 小林 靖着任 |
平成30年4月1日 |
第16代校長 須藤 明着任 |
平成30年6月1日 |
創立40周年を祝う会開催 |
令和3年4月1日 |
第17代校長 中嶋 浩一着任 |
令和5年2月3日 |
第2回 探究心を育む『遊び』研究会 こども青年局長賞受賞 |
令和6年4月1日 |
第18代校長 中川 琴似着任 横浜市教育委員会より「令和6年度 ICT推進モデル校」に選定 |