学校のあゆみ 

 

沿革

 磯子区矢部野町、田中町,栗木町の一部、港南区日野町の一部(主に現洋光台四・五・六丁目)の山の畑地、林地を日本住宅公団の手によって、住宅地として開発することを昭和37年に企画され翌38年開発工事が着手されました。
住宅地として整地され、中・高層住宅と個人住宅が建設され、昭和45年頃より入居が始まりました。  人口急増にともない、洋光台1、2、3丁目地区に日下小学校分校(現洋光台第一小学校)が設置され,洋光台4、5、6丁目も急増が激しく、昭和46年4月1日に洋光台第二小学校が独立開校しました。 しかし、洋光台地域の発展はめざましく,児童数の急増と教室数の不足に伴い、昭和47年11月、洋光台第二小学校第四方面校として起工、昭和48年8月4日に校舎A棟(普通教室18、特別教室2、給食室)が完成し、同年9月1日、洋光台第四分校として、児童数649名、学級数17、職員19名にて開校しました。
昭和48年11月より第二期工事に着手、昭和49年4月1日、洋光台第二小学校より分離し、教室数18,特別教室2,給食室,プレハブ教室(2棟4教室)学級数23、児童数881名で横浜市立洋光台第四小学校として独立開校しました。