正応寺・しょうおうじ 徳本上人名号塔
正応寺・しょうおうじ 徳本上人名号塔
 正応寺橋を渡り階段を登りつめると,右側に徳本上人の名号塔があります。墓地入り口の竹やぶには五輪塔の一群があります。開創の年月は,推定1615年から1643年ごろの創建とされています。寺は,何度かの火災に遇ったため古い記録は残されていません。昭和49年7月21日に,現在の本堂・客殿・庫裡を新築しました。  徳本上人は,庶民の尊敬を集めた名僧で,浄土宗の念仏を広げながら,全国 行脚をしました。その時お世話になった人びとへお礼に「南無阿弥陀仏」と書いた紙を置いていきました。その筆跡を刻んだものが名号塔です。
 
鬼子母神・きしぼじん 板碑・いたひ
鬼子母神・きしぼじん 板碑・いたひ
 言い伝えでは,織茂大策氏の先祖に子供が育たなかったときがあり,鬼門にあたるこの地にお御堂を建て,20センチ弱の鬼子母神様をおまつりしました。
 左手に赤子を抱き,右手に柘榴(ざくろ)を持っています。鮮やかな朱色であったそうですが,現在はわずかな色が残っているだけです。
 正応寺の座敷にある港南区最古の板碑(1329年)
野庭学校があった場所
鎌倉道があったことを示す道標
野庭学校があった場所
鎌倉道があったことを示す道標 鎌倉道があったことを示す道標
 明治時代になると学校がつくられ,子ど もたちが通うことになりました。上野庭村 の人たちが力を出し合って,ここに野庭学 校をつくりました。  はなみずき公園近くの交さ 点にある道しるべです。もと もとここは,鎌倉道(かまくらみち)といって江戸(えど)から鎌倉へ続く道でした。 昔のことを今に伝えるために,最近になって作られたものです。
神明社(しんめいしゃ)
神明社(しんめいしゃ)  
 もともとは別の場所にありましたが,団地をつくるときに今の場所に移動しました。昔から下野庭の鎮守(ちんじゅ)の神様として地域の人の信仰をあつめています。
 
 
浄念寺(じょうねんじ)
浄念寺(じょうねんじ) 浄念寺(じょうねんじ)
 「咳止め玄入坊(せきどめげんにゅうぼう)」のお話が伝えられています。大正生まれの人たちが子どものころ,咳が出ると,早く治るようにと,お湯やお茶を竹筒に入れ,母親に連れられてお参りしたそうです。
迎陽(げいよう)トンネル
迎陽(げいよう)トンネル 迎陽(げいよう)トンネル
 ここは,もと「上野庭口(かみのばぐち)」といわれていました。そのころ,ここまで 荷車で通ることはとても危険でした。雨が降るとこの道は危険で通れなくなっていました。 そこで,明治41年に村の人たちの協力で,岩だったところに手でトンネルを掘りました。 工事の時,朝日がとても美しかったのでこの名がついたといわれています。
 現在のように近代的なトンネルになったのは昭和53年(1978年)です。