もと増徳院の境内であったこの地は、安政元年2月、日米知親条約(神奈川条約)をむすぶため来日中のアメリカ使節ペリー一行のうち、客死した水兵を葬ったのに由来し、横浜開港後、居留外国人の葬地となりました。生麦・井土ヶ谷両事件の被害者をはじめとし、明治初期、日本文化に貢献したワーグマン、モレル、ゲールスなどがねむっています。