学校だより
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【12月号巻頭言】
ABCが表すもの ~「評価」を考える ~
校長 角皆 裕文
文部科学省は今年7月、次期学習指導要領の改訂に向けた審議の中で「主体的に学習に取り組む態度」の評価方法を見直す方針を打ち出しました。学校教育法施行規則によって規定されている「指導要録」は1年間の学習評価が記されます。現在、子どもの学びは「知識・技能」「思考・判断・表現」「主体的に学習に取り組む態度」の3観点によって評価されていますが、そのうちの「態度」の部分を除外しよう、というのが議論の主旨のようです。背景には「そもそも“態度”をどう測るのか」という根本的な問いや、教師の望むように行動する“態度偽装”を生んでいた、といった指摘も見受けられます。
このように、子どもを「評価」することについては絶えず議論が交わされており、私たちもそれ自身がはらむ次のような「あやうさ」に対して自覚的である必要があります。以下、ここでの「評価」とは通知表(本校では「かがやき」)の「観点別評価」において「ABC」による3段階評価をつけることを指します。
客観性の限界
テストの点数はある意味正直です。ところが、それらと授業中の発言やノート、各種成果物を総合的に分析し、3段階の評価をつける作業において、評価者の主観を完全に排除することはできません。教師は膨大な時間をかけてその作業を行いますが、いつまでもそのジレンマを抱え続けます。
「同じペースで成長」が前提
基本的に評価は単元ごとに行われますが、これは「この単元が終わったらみんなこの力がついているべき」といった考えに基づいています。そこには「ゆっくり学ぶ子」への眼差しが欠けているとも言えます。また、九九を学んだ子の技能の定着はすぐ測ることができるかもしれませんが、「読む力」をつけることを狙った学習活動の成果が直後に測れるとは思えません。「スイミーを詳しく読めた」ことと「スイミーを読むことで“読む力”が伸びた」ことは別なことなのです。
無用な序列を生む
誤解を恐れずに言えば、現在の学校教育における学習評価の多くは大学入試(企業への就職)を頂点とした一元的な指標に基づいたものであり、あくまでも子どもの“ひとつの側面”を表しているに過ぎません。にもかかわらず、友だちと通知表を見合った子ども達は、そこにあたかも絶対的な価値を示されたように感じ、教室内に序列を生み出します。また、自己肯定感を下げる子も当然いるでしょう。
先述した通り、1年間の学習の記録については法の定めによって「指導要録」が作成されます。一方で通知表(本校では「かがやき」)の作成については法律による規定がありません。子ども達が、他人と比べることなく、自分の可能性を信じて伸び伸びと育っていくために、評価はどうあるべきか。みなさんと一緒に考えていきたいです。
「ABC」による評価について、みなさんのお考えをお聞かせください

