沿革
学校のあゆみ
昭和30年代、相模鉄道沿線の一農村地域であった万騎が原地区は、開発により社会増が急速に進んだ。昭和34年、鶴ヶ峰中学校を親校とする二俣川分校が開校され、昭和36年5月1日、万騎が原中学校として独立。その後、周辺地区の開発が進むにつれ、生徒数も増え続け、昭和44年に希望が丘中学校を、昭和46年には、左近山中学校を、昭和51年には旭中学校を、さらに55年に本宿中学校が独立開校した。 地域も農村地区から静かな住宅地区、そして二俣川駅周辺の活気ある商業地区の拡大と、めざましい変貌ぶりである。万騎が原は鎌倉時代、北条の軍勢と戦い壮烈な最期を遂げた悲劇の武将畠山重忠ゆかりの地であり、校訓も公の遺訓「智・仁・勇」からとっている。
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