冒頭の「リンゴの話」は七年前の研究授業でのひとコマだったが、今度は3年前にあった、つまり研究テーマが決定し研究が暗中模索をしていた頃の出来事である。
第一次世界大戦をテーマに、当時の新聞資料をもとに話し合う授業であった。授業者は「ところで、第一次世界大戦って、いつからそういわれるようになったのかな。そして、どうしてそういわれるようになったんだろう」という問いかけがあった。
二次がなければ一次とは呼ばなかったはずだ。では、当時はなんと呼んでいたのか。それを新聞資料で見ていこうという展開だった。
そのとき、ある子ども(Bさんとする)がぶつぶつと答えらしきものをつぶやいた。見学者の何人かはそれに気づき、「これは面白い展開が期待できる」と思っていた。
ところが、「それはね、これこれということなんだ」と授業者が自分で答えてしまったのだ。その直後Bさんは「あーあ言っちゃった」と言ったのだが、もっともな反応だった。
その授業者はこの大会に向けて研究授業も実践するような優れた教師だったが、協議会の席でのBさんの評価はあまり意欲的ではない生徒というものだった。わたしたちは子どものとらえが、ずいぶんちがうなあと感じた。
そして、どんなに研究し尽くしても、子どもが求めていること(それは子どもの声として聞こえてきたり、さまざまな表現で伝わってきたりする)に応えていないと、逆に意欲をそいでいることさえあるのだということに、あらためて気づいた。
子ども一人ひとりを大事にするといいながら、思い込みで決め付け、子どもの意欲をそいでいるという事例はどこの教室でもあるような気がする。Bさんからの宿題は、その後わたしたちに重くのしかかった。
この研究は最終的には、材・方法・評価を社会科のねらいとの関連で、どのように配置していくのかという、カリキュラム論になってだろうと考えられる。
中学校三年間で、子どもにどういう力を身につけさせたいのか、そのためにどのような仕掛けと仕組みで身につけさせていくのかということが、本論なのかもしれない。そう考えると、わたしたちの提案は、ほんの序章であり、壮大なテーマの入り口に立っただけなのかもしれない。
参加された先生方には、多くのご意見をいただき、今後の実践に役立てて生きたいと願うところである。
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