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意欲的な学びの追究
−材・方法・評価を視点として−

 
プロローグ−りんごの話−

1.テーマについて
2.研究の経緯
(1)資質の向上
(2)意欲の研究
(3)教師の支援
3.材・方法・評価のとらえ
(1)材と方法
(2)評価
(3)視点別分科会のねらい
4.研究の仮説
5.授業づくりのための工夫
(1)単元づくりワークシート
(2)子どもの視点を入れた指導案
エピローグ−Bさんからの宿題
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平成16年11月作成


 「りんごの話」。唐突かもしれないが、この話はわたしたちにとって忘れられない、そして大切なものである。それは、わたしたちの研究の方向性を決定づけた話だからだ。
 7年前のある研究授業でのことだ。その授業は生徒が東北地方について調べて発表するものだった。ある生徒が(仮にAさんとしよう)が、「りんごの生産」について調べたことを説明した。Aさんの説明は決して上手とはいえないが、訥々とした中にぬくもりとおもいがこもっていて、とてもわたしたちの心に残った。

 当然、授業後の研究協議はAさんの発表に話題が集まった。ところが、授業者からAさんは大きな課題があり学校を休みがちだということや、Aさんの祖父母が青森に住んでいて、特別な「おもい」をもってこの発表をしたことが語られた。

 授業を見ていたわたしたちは、Aさんの調べ学習と発表を支えた授業者の苦労と配慮、ふだん休んでいたことを感じさせないほど自然にAさんを受け入れた学級集団に、教師と子どものあるべき姿を見た思いがした。

 この日から、あたたかい仲間に囲まれたAさんが前に立って発表している姿が、私たちにとって忘れられないものとなった。そして、Aさんがその後、学校に登校するようになったと聞いて、研究の方向性は決定的になった。

 それは「すべての子どもが生き生き参加できる授業をどうやってつくるか」をさがすことだった。





 横浜市には145校の中学校があり、さまざまな研究活動が行われている。横浜市の中学校社会科研究会は夏季に他地域を訪れその地域の名所旧跡や産業の現場を見学したり(夏季巡検)、横浜市のテストを作成して子どもの学習習得度をはかったり(市診断テスト)してきた。

そうした研究実績にもかかわらず、さまざまな課題をもった子どもが、やる気を見いだせずに授業にのぞんでいる実態が多く見受けられた。そうした子どもに何かしてあげたいとおもいは、研究の方向性が決まる前から教師の共通の課題になっていた。

わたしたちは、子どもが生き生き参加するようすを意欲的な学びという言葉であらわすことにし、教師がさまざまなことを試み、検討を加えて、いい方法をさぐり出していくことを追究という言葉であらわすことにした。

こうして横浜市のテーマは「意欲的な学びの追究」ということに決定した。

テーマが大きすぎて何を研究するのか見えてこないのではないかという指摘もあったが、今までと違う視点ですべてを見直すことが肝要だと考え、研究が進められた。

そんな中、横浜市が『新よこはま教育プラン』を策定し「自分が価値ある存在であり、役割を担っていると感じることを自己有用感と定義し、それを子ども主体の教育の中心にすえていく。」という考えを打ち出した。(注1)今までキーワードをさがし模索してきたわたしたちは、この考えに注目した。


子どもが生き生き授業に参加するようす



意欲的な学び



プロローグで紹介した「りんごの話」でいえば、休みがちであっても発表者として切り捨てられなかったこと、自分の関心にあった課題に出会えたこと、まわりの子どもにあたたかく迎えられたことなど、自分に価値があり、必要とされている存在だと実感できたことがAさんを支えていた。

  それらをひとつの言葉にすると自己有用感だといえる。そこで、わたしたちは自己有用感が持てる授業は子どもが意欲的になるという考えに到達した。

 教師が子どものおもいやねがいに耳を傾けると、子どもの言いたいことや知りたいことがわかるだけでなく、どんな授業をのぞんでいるか、どんな支援をのぞんでいるかなど、学習を組み立てていく上で重要な事柄が見えてくる。それを生かして授業をつくっていくと、子どもひとりひとりが大切にされ、存在価値のある自分を感じるようになる。それは自己有用感そのものである。


自己有用感が持てる       意欲的になる


さらに、実践研究を数多く分析していうちに、子どもが生き生きと参加している授業では、子どもの声が見えたり聞こえたりすることがわかってきた。声といっても発言するということではなく、子どものおもいやねがいが授業の随所に生かされているということである。

教師が子どものおもいやねがいに耳を傾けると、子どもの言いたいことや知りたいことがわかるだけでなく、どんな授業をのぞんでいるか、どんな支援をのぞんでいるかなど、学習を組み立てていく上で重要な事柄が見えてくる。それを生かして授業をつくっていくと、子どもひとりひとりが大切にされ、存在価値のある自分を感じるようになる。それは自己有用感そのものである。

自己有用感が持てる授業



  子どもの声(おもいやねがいの表出)が聞こえる授業
 


りんごの話では、自己有用感を持てるようにすることは意図的には行われてはいなかったが、自己有用感が持てる授業を類型化・明文化できれば、わたしたちの授業は大きくかわり、子どもが生き生きと参加すると考えた。

しかし、今までに述べたことは、研究された中で次第に明らかにされたことであり、かなりの紆余曲折を経て、ここまでたどりついている。

そこで今までの研究の経緯を説明し、新たな視点を示していきたい。

注1 新よこはま教育プランの9ページ

「子どもが健全に成長していく過程を大切にします。「健全な成長過程」とは、「かけがえのない自分らしさを肯定し、生きる意味を見いだし、生きていることの充実感(自己存在感、自己有用感)をもって成長していく過程」ということです。(略)子どもが健全に成長していく過程を重視することにしました






(1)資質の向上
 わたしたちは7年前から、横浜大会に向けての研究をはじめた。

テーマの決定にむけて、前述したリンゴの話の授業をはじめ、さまざまな授業の検証、最新の教育理論の研究、学習指導要領の読み込み、めまぐるしく変化する社会情勢の分析などをもとに議論を続けていた。

当初、わたしたちは子どもの意欲的な学びは教師の資質の向上だと考えていた。授業案・授業実践・分析検討など授業づくりを行い、さまざまな授業の提案とその追試も行っていた。特に新指導要領へ向けて、地域の学習・体験する学習・調べて発表する学習に取り組んでいた。

その中で、多くの教師によって検討され優れていると思われた実践や、教師の長い取り組みから得られた提案でも、子どもの取り組みは状況によって必ずしも一様でないということに気づいた。

考えてみれば当然のことで、提案された授業は、それが行われた地域・学年・学級が特定された中で可能なものであり、同じ教師でも、天候や前後の時間割・子どものその日の気分によって変わるものだ。 

また、その授業プランを考えた教師の資質がその授業を可能にしているため、どんな要因が授業を盛り上げ、子どもの意欲を促しているのかの検証はむずかった。

 たとえば、授業の展開がよかったのか、関心のある事象だからなのか、教師の技術がよかったのか、日ごろからその教師が面白いと思われていたからなのか、逆に厳しいとおもわれていたからなのか、地域の学習熱が高いからなのか、発言の多い子にいいことがおきたからなのか、同じ授業を行っても同じ結果が得られるものではなかった。

わたしたちが考えているように授業を磨き上げ、教師の資質を向上する研究はすでに多くの実践で行われているが、さまざまな要素が絡みあう授業で、何の要素が意欲を引き出すか判別するのはむずかしかった。

たとえば、授業の展開がよかったのか、関心のある事象だからなのか、教師の技術がよかったのか、日ごろからその教師が面白いと思われていたからなのか、逆に厳しいとおもわれていたからなのか、地域の学習熱が高いからなのか、発言の多い子にいいことがおきたからなのか、同じ授業を行っても同じ結果が得られるものではなかった。

わたしたちが考えているように授業を磨き上げ、教師の資質を向上する研究はすでに多くの実践で行われているが、さまざまな要素が絡みあう授業で、何の要素が意欲を引き出すか判別するのはむずかしかった。


(2)意欲の研究
そこでわたしたちは、意欲はなぜ出てくるのかを心理面から解明することによって、子どもの学習を科学的に見て法則性をさがしていこうと研究の方向を修正していった。

さまざまな心理学研究者の論を読むと、意欲のとらえ方はさまざまで、タイプ別に分類されたり、階層に分けられたりしていることがわかった。タイプ別に分けられた意欲で言えば、授業の内容によって引き出される意欲、教師の魅力によって引き出される意欲、進学に有利になるので出てくる意欲などに分類できるらしい。そうした意欲のタイプを整理して、授業でみられる子どもの行動を当てはめていこうと試みた。

クラスの中に抽出児を設定し、授業を時間軸で追いながら、その子の行動や書き物を集め、どんな心の動きを示しているのかをさがしだそうとした。ポートフォーリオにした作品を見くらべて、子どもの心理的な成長のようすを確かめようとした。また書き物を詳細に読んで、関心のありかや子どもの理解の深さをさぐろうとした。

しかし、授業の中で子どもの意欲の表出を見とろうとすると、専門外のわたしたちにはとらえきれないものがあることがわかった。子どもの心の中は複雑でわかりにくく、特に中学生は本心をあらわさないし、気持ちと態度が逆になることもしばしばあるので、日ごろの子どもも観察し、とらえている必要があった。

さらに、一人ひとりが意欲的である時間帯や場面は人によって違っていて、研究授業で多くの教師が見ているならば見とれるが、教師ひとりが毎時間、全ての子どもを見ていくことは困難だった。

こうした経緯の中から、教師の資質に由来する授業研究や心理学を踏まえた研究ではなく、実践家である教師としてすべきことはもっと違うことにあると考えるようになった。

(3)教師の支援
 子どもの学習の中で意欲が大切な鍵であることは間違いない。それをどうとらえていけばよいのか、わたしたちは迷っていた。

学問的な文献から研究することをやめて、わたしたちの研究の成果や経験をもう一度違った視点で見て検討していくうちに、さまざまな条件が違っていても、教師が熱意を持ってさまざまな工夫を凝らして取り組んでいることと子どもが意欲的になることには深いかかわりがあるという動かしがたい事実を確認することができた。

いろいろ回り道をしたようではあったが、教師の支援(子どもにどんなことがしてあげられるのか)という視点がもっとも重要だと考えるようになった。

わたしたちは、授業ひとつひとつの検討ではなく、教師が社会科授業全体にどんな思いでのぞみ、どんな子どもを育てたいと思ってその授業をつくっているのかを研究することに、再び研究の方向性を修正していった。
 それぞれの教師が、意欲的な学びを目指して自分のスタイルで行ってきた授業づくりに、共通する方略(つくるための考え方)と作業仮説(つくるための手順)を見つけ、それを提案することができれば、多くの教師がそれを参考にして取り組み、授業を再検討できるはずである。それを見つけ提案しようというにわたしたちの意見は一致した。

その際、意欲にタイプや階層があるという考えでは厄介なので、意欲的とは子どもが主体になって学んでいることであることとした。また、意欲を引き出すさまざまな条件の中から、わたしたちが対象にするのは社会科の授業というものに限定して研究することにした。

・教師の支援(子どもにしてあげられること)という視点
・方略(つくりための考え方)と作業仮説(つくるための手順)を見つけ、それを提案する。


 4年前に「意欲的な学びの追究」というテーマはこうした経過の中で決定された。






 研究はいままで、地理・歴史・公民の分野制をとってきた。それは授業づくりの点では内容別の研究のほうが合理的だったからだ。

しかし、子どもの支援という視点で授業をとらえなおすと、分野制は必ずしも妥当ではない。支援を類型化すると、材や方法をどのように準備するのか、どのような評価が子どもにとって有効なのかという、教師の動きが軸になってくる。

以下、それぞれの考え方を述べたい。



(1)材と方法
 まず、わたしたちが使っている材と方法について説明する必要がある。

材は、一般的には教材・教育材といっている。子どもが主体的に探し出して学習をしていくものを特に学習材と区別することもある。

わたしたちは、子どもの関心に沿ってつくり出す教材と、教師の目的にそって子どもがさぐり出してくる学習材は、どちらも教師の支援の結果、共通の目的を持ったものになっていると考えた。そこで、それを材という言葉で表現することにした。

方法は、一般的には授業のやり方(形態)をさしている。ロールプレイング・ディベート・劇化・新聞づくりなど、さまざまなものが研究されている。あるいは、授業のこまごまとした教師の技術をさすこともある。板書の仕方・机間巡視の仕方・ノートの書き方指導など、これも多くの研究がある。

これらは、研究の始まりで検討したもので、教師の資質と大きく関係しているという結論を得ている。わたしたちは、さまざまな授業の形態に共通している要素を見出し、効果的に用意することを研究した。

 材と方法を視点としたのは、これが授業を構成する要素であるとともに、子どもの主体的な学びを支援する要だと考えたためだ。授業実践でもさまざなま機会に授業実践で工夫をつんできた。その中でよく語られることは、

「どうも教材・学習材と方法がマッチしていない」

「ねらいと教材・学習材、ねらいと方法がマッチしていない」ということだった。
 材と方法、それぞれの持っている特徴(=よさ)を分析し、どうすれば効果的なのか、子どもの意欲にどのように結びついているのかを考えていくことである。

(2)評価
 テーマが決定してから、わたしたちは材と方法を視点として研究することを考えていた。しかし、子どもが主体的に取り組んだ結果、さらに追及したいという学びこそが本当の主体的(意欲的)な学びではないかという指摘があった。

 そういう学びを実現するためには、自分の知りたいことがさがし出せる、自分の学習経過を振り返れる、自分の取り組みが見つめられる力が必要である。わたしたちは、それを自己評価する能力として、意欲を引き出す鍵だと考えるようになった。

 教師は評価というと、教師からの評価を思いがちだ。最近は観点別評価のつけ方の研究が盛んに行われているが、わたしたちがここで取り上げているのはそうしたものではない。

 子どもにしてみれば、教師の評価(他者評価)も子ども同士の評価(相互評価)も、それを受け止めた子どもが、どのようにそれを取り入れ、その後の自分の学習に生かせるのかが意欲につながっている。テストの点にしてもテストという評価法によって得られた今の自分である。

教師はそうした自分をモニタリングできる場面を設定し、もっと納得する自分になるために、あるいはもっと成長するために、どんな努力が必要か目標を明確にできるように支援をすることができる。


(3)視点別分科会のねらい
 今回、わたしたちは分野別の分科会ではなく、材・方法・評価の視点別に分科会を行うことにした。これまでの説明を読んでいただければ、その理由はお分かりいただけたと思う。

 分野別にすると内容に比重がどうしてもかかって、子どもとの接点が明確にならない。子どもの主体的な学び(意欲的な学び)を引き出すために、材・方法・評価の視点で、教師がどう支援していけるかを検討したほうが子どもとの接点はより明確にされる。そう考えると、各分野を横断し類型を抽出したほうが有効だと考えた。





 こうして研究を積み重ね、わたしたちは次の仮説を立てることにした。

 教師が子どもの成長の支援者として一人ひとりを大切にし、自分の存在が実感できる授業をつくるようにすると、子どもは自ら進んで学習に取り組むように育っていく。
 自己有用感が持てるように、材・方法・評価を視点にすると、意欲的な学びを展開する。
《材では》
子どものおもいやねがいを生かした材を用いて支援する。
@身近で同時代性の感じられる材。
A自分の力で解いていくプロセスが味わえる材。
Bおもいやねがいが生きた材。
C意見や作品が取り入れられた材。
《方法では》
子どもが主体的に参加した、活躍したと感じられるような方法を用いて支援する。
@自分が何をすればよいのか、見通しがたてられる方法。
 ア:次に何をすればいいのかわかる。
 イ:はじめに必然性がある。
A発表、創作、討論などの表現活動がともなう方法。
 ア:さまざまな活動がある。
 イ:積み重ねがある。
《評価では》
自分を肯定的に考えられるような自己評価ができるように支援する。
@教師の的確な支援と子どもどうしの励ましあいがある。
A自ら学びの経過が見出せる評価。
 ア:学びあいがある。
 イ:課題が意識できる。
 ウ:振り返りがある。
 これらは、わたしたちがさまざまな授業実践から類型化して抽出したものだが、あくまでも例示であり、他にも要素がありえるだろう。








 仮説に基づいて研究を重ねるうちに、いくつかのアイデアが生まれてきた。今までは授業をつくるために指導案を書いていたが、その前段階で材や方法を関連して作り上げていくことや、子どもの考えや意見を書き溜めて評価につなげていくことなど、これから生かすことができるものが多く見つかった。そこで、それらの考え方(方略)とやり方(作業仮説)を紹介しておきたい。

(1)単元づくりワークシート
 今まで授業づくりにはフローチャート的なものが用いられることが多かったが、わたしたちの提案する材・方法・評価を視点にして授業の全体像を構想すると授業案がつくりやすい。

○単元学習ウェブマップ

いわゆるウェビングを図式化して授業の全体像(単元構成)をつかむものである。これを使うことと、教科書をページ順にした授業から、単元のつくって展開の核心に迫るための授業に変えることができる。

まず教師は単元の核を想定し、それに関連する項目や内容を関連付けて図示していく。その中で材や方法を連想しながら、関連図の上に載せていくことになる。

作業をしていくうちに単元の核が最初に考えたものでいいのか再考し、次第にずれていくことがある。それは単元全体の材や方法との関連からわかってくることが多い。

○材・方法・評価ごとのサイトマップ

 視点ごとに授業展開の中でどんな方法が使われるのかを樹形図の中で並べたものである。ワークシートで関連付けられ、単元として完成されたものをもとに授業の流れに従って並べていくと、材と方法のマッチングが見えてくる。また用意すべき材や、展開全体に必要な準備が明確になるので、授業の展開を連想することができる。

 とくにに単元のどの場面で材や方法が必要になるかは授業の展開で変化することもありえる。そのとき、準備があると子どもは驚き、感心する。

(2)子どもの視点を入れた指導案
 前項で紹介したワークシートをもとに指導案をつくると、今までとは違う形式のものができあがってくる。

○教師の視点が材・方法を明確にすることでより具体的な見ることができる。

○子どもの視点を書くことで、今目の前にいる子どものモチベーション(取り組みのようす)やレディネス(事象に関する既知)を事前に調べてから授業づくりへと移ることができる。

○指導案を展開当初につくっても、子どものようすによっては授業を修正することがあるかもしれない。その場合も、この方法をとっていると授業をとらえなおすことが可能になる。
○注目生徒の学びの記録は子どもの成長を記録し、教師自身が授業を振り返って足跡カリキュラムをつくることができる。





単元づくりワークシート
単元学習ウェブマップ
視点ごとのサイトマップ




子どもの視点を入れた指導案

教師の視点
・材のとらえ
・方法のとらえ
子どもの視点
・モチベーション
・レディネス
・展開の修正
学びの記録
八つ折り記録シート
学びの連続性

自己評価

(3)八つ折り記録シート
 子どもの記録を残していくため、画用紙などを八つ折にし、必要に応じて自由に使っていくとレディネス・テスト・意見感想・言葉つなぎ・まとめ・自己評価などが書き込むことができる。

 この方法は、学びを連続的に残すことができるため、学びを全体的に見渡して理解がどのように深まっていったのか自己評価することができる。また、単元名をタイトルにすることで、常に目標が意識することができる。




 冒頭の「リンゴの話」は七年前の研究授業でのひとコマだったが、今度は3年前にあった、つまり研究テーマが決定し研究が暗中模索をしていた頃の出来事である。

第一次世界大戦をテーマに、当時の新聞資料をもとに話し合う授業であった。授業者は「ところで、第一次世界大戦って、いつからそういわれるようになったのかな。そして、どうしてそういわれるようになったんだろう」という問いかけがあった。

二次がなければ一次とは呼ばなかったはずだ。では、当時はなんと呼んでいたのか。それを新聞資料で見ていこうという展開だった。

そのとき、ある子ども(Bさんとする)がぶつぶつと答えらしきものをつぶやいた。見学者の何人かはそれに気づき、「これは面白い展開が期待できる」と思っていた。

ところが、「それはね、これこれということなんだ」と授業者が自分で答えてしまったのだ。その直後Bさんは「あーあ言っちゃった」と言ったのだが、もっともな反応だった。

その授業者はこの大会に向けて研究授業も実践するような優れた教師だったが、協議会の席でのBさんの評価はあまり意欲的ではない生徒というものだった。わたしたちは子どものとらえが、ずいぶんちがうなあと感じた。

そして、どんなに研究し尽くしても、子どもが求めていること(それは子どもの声として聞こえてきたり、さまざまな表現で伝わってきたりする)に応えていないと、逆に意欲をそいでいることさえあるのだということに、あらためて気づいた。

子ども一人ひとりを大事にするといいながら、思い込みで決め付け、子どもの意欲をそいでいるという事例はどこの教室でもあるような気がする。Bさんからの宿題は、その後わたしたちに重くのしかかった。

この研究は最終的には、材・方法・評価を社会科のねらいとの関連で、どのように配置していくのかという、カリキュラム論になってだろうと考えられる。

中学校三年間で、子どもにどういう力を身につけさせたいのか、そのためにどのような仕掛けと仕組みで身につけさせていくのかということが、本論なのかもしれない。そう考えると、わたしたちの提案は、ほんの序章であり、壮大なテーマの入り口に立っただけなのかもしれない。

参加された先生方には、多くのご意見をいただき、今後の実践に役立てて生きたいと願うところである。